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2020年01月16日

中1・中2学調速報!

 こんにちは、田子浦校の平田です。

中1・中2の学調結果が出てきています。今回もみんな大健闘でした。現時点での判明分をお伝えします。

中1国語
45 43 43 42 42 42 42 40
中1社会
47 45 45 45 44 44 42 42 42 42 42 42 42 41 41 40 40
中1数学
50 48 48 45 44 42 42 42 40
中1理科
48 46 44 43 43 42 41 40 40
中1英語
50 50 49 49 48 47 47 45 44 44 44 43 43 43 41 40
中2数学
47 44 43 43 41 41 40
中2理科
47 47 45 44 44 41 41 41 41 41
中2英語
50 48 47 46 45 45 44 44 43 43 42 42 42 41 40


 1月15日時点でわかっている分です。まだ出そろっていない教科は、判明し次第お知らせします。乞御期待!

 先日掛川城に行ってきました。日本初の木造復元天守として話題になった掛川城。城主として有名なのが山内一豊です。

 慶長5(1600)年、徳川家康は会津の上杉景勝を討伐する名目で出陣しました。京都・大阪を留守にすることで、石田三成に挙兵の機会を与えようとする陽動作戦でした。これに乗る形で三成は挙兵、伏見城を攻め落としました。

 三成挙兵の報告を受けた家康は軍議を開き、直ちに引き返すことを決定しました。この時、真っ先に家康への味方を表明したのは福島正則。家康は事前に正則に話をし、軍議の場で味方を表明するようにしていたのでした。豊臣家の親戚である正則が家康に味方することを表明したことで、他の大名もそれに倣いました。ここまでは家康の計算通り。

 ここで家康にとって予想外の態度を示したのが山内一豊でした。一豊は「自分の居城・掛川城を家康に明け渡すから自由に使ってくれ。」と言ったのです。城を明け渡すなどということは、戦って負けた時ぐらいしか考えられません。家康は非常に感激しました。そして他の大名も一豊に倣ったため、家康は何の障害もなく関ヶ原に行くことができました。戦場では何の手柄も立てませんでしたが、この一言で一豊は掛川5万石から土佐20万石に加増されました。

 実はこれ、一豊のアイデアではありませんでした。堀尾忠氏が発案し、うっかり洩らしたものを聞いた一豊が自分の案として申し出たのでした。土佐山内家は幕末まで続き、坂本龍馬や板垣退助を輩出しますが、堀尾家は忠氏の子・忠晴に子がなく、断絶してしまいました。



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田子浦校 平田

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