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2019年08月15日

時代の犠牲者(8月15日に思うこと)

今日8月15日は、太平洋戦争終結、終戦記念日です。

私たちの世代も戦争を見たのは「湾岸戦争から」しかもテレビの中。限られた情報で、閃光が走る光景だけを観てガンダムのナレーション「ただ一つだけ言えることは、閃光が一つ走る度に、何千、何万の命が失われているのである(だったと思います)」を思い出したことを覚えています。

“時代の犠牲者”の中で究極は戦争の犠牲者だと思います。命を失うことも日常なのですから。では、今、この瞬間、戦争のない国や地域では“時代の犠牲者”は存在しないのでしょうか?私はいると思っています。

私事で恐縮ですが、旅が大好きで、とにかく異文化、宗教、アジアの熱気は自分の中に何かグッとくるものを与えてくれるものとして捉えています。アジアの国々の中では、満足に食事を摂れない国がたくさんあります。世界のどこを探しても、水道水を飲める国、ましてや水道水とトイレの水が同じ、なんて国はそうはありません。そういった国に生まれた子どもたちは、貧しい生活を余儀なくされます。そういった子どもたちは“時代の犠牲者”だと思ってしまいます。その人たちにはとても失礼であることは承知です、それに、当の本人が“犠牲者”などとは思っていないであろうことも。貧しい幼少期を送った私からすると、周囲が同じように貧しければ、そうでもないかもしれませんが、自分の家だけが貧しいと思うと、心がむしばまれます、荒むのです。

アジアの観光地では、子どもたちが土産物を片手に「1ドル、1ドル」と商売をしている光景があります。もっと衝撃的なのは、それを遠くから眺める「親」がいることです。大人は「子どもが売った方が買ってもらえる」ということを知っていて、わが子にそんなことをさせているのです。町では赤信号で止まった車やバイクに近づき、紙コップ片手にお金の無心をする子どもたちです。教育も受けず、このようにして育った子どもが大人になり、やがて同じことを繰り返す。これは“時代の犠牲者”なのだと思います。

みなさんには誰が、どういった人が“時代の犠牲者”だと映りますか?その人のために何ができると思いますか?その人たちのために何かをしようと思ったら、また別の“時代の犠牲者”を生み出すかもしれません。それでも、誰かのために何かをしたい、という思いをもってほしいと思います。そのためには、先ず自分を鍛えぬくことです。力がなければ人を守ったり、助けることなどできないからです。その力をつける過程で、その力の使い方も学ばなければなりません。今はそのときです。

ただ、一つすごいと思うことは、そういったアジアの国々の人たちは笑顔に溢れているということ。貧しさと不幸は違う、を実感させてくれる1シーンでもあります。

戦争という時代の犠牲者を思い、所感をそえて       【いとう】

文理学院オフィシャルホームページ

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