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2019年06月06日

テスト対策開催中!

 こんにちは、田子浦校の平田です。

 いよいよ6月テストが目前に迫ってきました。元吉原中・須津中はあと1週間、田子浦中・富士南中はあと2週間で本番です。学校帰りに寄って勉強していく生徒、自習室でガンバる生徒、授業後に残って勉強していく生徒も増えています。この勢いでガンガンガンバって行きましょう!

 6月8日(土)18:00から夏期講習説明会があります。文理の夏期講習に興味のある方のご来校をお待ちしております。

 文久3(1863)年6月6日、長州藩の高杉晋作が奇兵隊を結成しました。この当時は「攘夷(じょうい)」という外国人を打ち払えという考え方が流行っていました。そんな中で長州藩(現在の山口県)は、本州と九州の境目である関門海峡を通る外国船に対する砲撃を繰り返していました。被害にあったアメリカ・フランスは報復攻撃をしましたが、長州藩の軍勢は外国に対してまるで歯が立ちませんでした。下関の防衛を任された晋作は、これからの軍隊は身分にこだわっていてはダメだと考え、藩士にこだわらず、広く志願者を募って新しい軍隊をつくりました。これが奇兵隊です。

 倒幕の動きをする長州藩は、幕府の軍勢に攻められて降伏、晋作ら倒幕派は藩から命を狙われます。そんな中で晋作は奇兵隊を率いて立ち上がり、藩内の降伏派を一掃し、再び長州藩を倒幕にまとめました。「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」と評された晋作の行動力が最大に発揮された時でした。

 高杉晋作は新しい時代を見ることなく、29歳で病に倒れました。しかし、晋作と行動を共にした木戸孝允、伊藤博文、大村益次郎らによって、新しい日本がつくられていきました。大村は晋作の意志を引き継ぎ、これからは国民全員が兵隊となって国を守るべきだと考え、徴兵制度を創設しました。しかし皮肉なことに、この制度によって奇兵隊は必要なくなり、解散させられてしまったのでした。

田子浦校 平田

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