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2019年03月05日

本日より新年度スタート!

 こんにちは、田子浦校の平田です。
 本日より新年度の授業がスタートです。フレッシュな気分でガンバって行きましょう!教員の年齢はフレッシュではありませんが、気持ちはフレッシュですよ!学年が新学年なので、間違えないようにしてくださいね。

 そして今日は静岡県公立高校入試の1日目です。先輩達が今までやってきたことの全てをぶつけて戦ってきました。新中3生は決戦まで1年を切ったということです。1年後、どんな思いで決戦に臨むのかはこれからの君たちの過ごし方次第です。そのことを心に留めて過ごすようにしましょう。

 天正8(1580)年3月5日、石山本願寺の法主・顕如が本願寺を退去しました。これにより、元亀元(1570)年以来10年に及ぶ織田信長と石山本願寺の「石山合戦」が終結しました。

 始まりは元亀元(1570)年9月12日。敵対する三好三人衆を相手に陣を張っていた織田軍を、突然本願寺が攻撃してきました。その後、二度に渡って講和を結んだのですが、二度とも本願寺に一方的に破棄されていました。この頃になると、信長に敵対する勢力はほとんどなくなったため、不利を悟った本願寺は三度目の講和を結ぶことにしたのです。

 顕如が退去した直後に石山本願寺は焼け落ちてしまいました。講和に不満人々よる放火が原因とも言われています。もっとも、ここに新しい城を築くつもりだった信長にとっては、手間が省けただけでした。本願寺があった場所は海に面しており、平野が広がり、淀川の水運を開けていました。天下を治めるには非常にいい立地条件だったのです。ここが手に入らなかったので「しかたなく」築いたのが安土城でした。

 信長が天下を治める本拠地にしようとした城は一体どんなものだったのか、残念ながら実行に移す前に本能寺で倒れてしまったので、永遠の謎になってしまいました。本願寺跡に城を築くという計画は豊臣秀吉にパク…引き継がれました。と言えば場所はおわかりですね。そう、大阪です。信長の天下が実現していたら、今頃日本の首都は大阪だったのかもしれません。ちなみに信長は自分の意志に合わせて本拠地の地名を変えています。中国の周王朝発祥の地から「岐阜」、京都の平安京に対抗して「平安楽土」から「安土」。なら大阪は…。これも永遠の謎ですね。

田子浦校 平田

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