Home > 2018年10月09日

2018年10月09日

小学生保護者会

 こんにちは、田子浦校の平田です。
 今週田子浦校では小学生保護者会を開催します。
中学校での成績の決まり方や、小学生のうちに今できることついて余すところなくお伝えします。
時間帯は下記の通りです。
小4……10月11日(木) 17:40~18:30
小5・6…10月12日(金) 17:40~18:30


 昨日は体育の日でしたね。明日は10月10日。1964年10日10日に東京オリンピックの開会式が行われたのに因んで10月10日が体育の日として固定されていました。現在はハッピマンデー法で10月の第2月曜日にされていますね。また、2020年からは「スポーツの日」という名前に変更されることになっています。

 実はこの10月10日は、もっととんでもない出来事があったのです。それは永禄10年、西暦1567年のことでした。皆さんもご存じの奈良の大仏、この日大仏が焼け落ちるという事件が起きたのです。正確には大仏を納めてある大仏殿が焼け、その熱で金属部分の硬度が低下して大仏の頭部が落ちてしまったのです。応急処置はしたものの、しばらくの間は頭部のない大仏が外から丸見えだったと思うと、ゾッとしますね。

 この事件の主役は「松永久秀」という人物。官職名から「松永弾正」と呼ばれることもあります。後に織田信長が徳川家康に松永を紹介した時、信長はこう言いました。
「この松永は普通の人ではできないことを3つもやった。自分の主人を殺し、将軍を殺し、東大寺の大仏を焼いた。」
信長は人とは違ったことをするような人が大好きだったので、この紹介は信長にとって最大の賛辞だったと思います。松永にとっても、これが例え松永を貶めようとしたものであったとしても、むしろ誇らしげに思っていたのだと思います。

 信長の配下となった松永でしたが、天正7(西暦1577)年に信長が上杉謙信や石山本願寺と戦闘状態となると、信長に対して反乱を起こしました。さすがの信長でも、上杉・本願寺を敵に回しては勝ち目がないと思ったのでしょう。しかし信長が態勢を立て直したため、追い詰められた松永は城に火を放って自害しました。10月10日。松永が大仏を焼いた日の、ちょうど10年後の同じ日でした。人々は大仏の祟りだと噂したそうです。

田子浦校 平田

文理学院オフィシャルホームページ

Home > 2018年10月09日

携帯への登録はこちらから
QR
最近のコメント
最近のトラックバック
Search
Meta
Links
Feeds

Page Top