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2017年04月14日

開眼

中1の歴史でゴータマシッダールタなる人物が登場します。仏教の開祖シャカのことです。

シャカはインドの王子様で高貴な生まれの人物でした、というと生徒はびっくりします。広く知られる袈裟一枚のイメージが強いようです。シャカは生まれつき人格的に円満で、優れた知恵を用い、何でも解決できた、なんてことはありませんでした。むしろたいへん悩み多き人だからこそ、自ら同様に苦しむ悩み多き人々へ共感し、救いを与える教えを説くことができました。

仏教用語に「悟り」という言葉があります。悟りを開いたシャカは、そもそも尽きぬ悩みから悟りを開くことになった人です。悟りというと高尚に聞こえますが、例えば難しい数学の問題があったとします。初見ではちんぷんかんぷんで全く分からず、2~3日考えあぐねた結果、ある朝急に答えが出るようになった、多くの人にそんな経験があることと思います。悟りとは、このときの「ひらめき」とか「わかる」といった具合のものです。論理的とは言い難くとても個人的な出来事です。感覚的なことなので技術の伝達は困難です。さらに問題が違えば新しい数式が要求されるように、万能の考えではありませんでした。個人的なことなので、教えることができず、だから仏教では悟りを開くために黙々と修行に励むんですね。

シャカの悟りとは、その時はそう思うことで満たされた、という思想だったので、シャカの言葉をすべて実践しようとなると矛盾が生まれて破たんします。さらにひとつ悟りを開いても、人生は山あり谷ありですから、すぐさま新たな悩みが生まれます。永遠のイタチごっこです。このことはシャカ自身が一番心得ていたことだったので、死後に自分の教えをまとめて宗教のようにしないことを強く訴えますが、偉大な師のお隠れを惜しんだ弟子たちの手によってシャカの言行は現在に至ります。

よく子どもたちに「言うな」っていうと言うし、「言おう」っていうと言わない、みたいなことがあって、それを逆手にとって遊ぶことも多々ありますが、このことは教室内に限らずご家庭の中でも見られると思います。時代は移れど人々の営みに普遍性が見られ、一連のストーリイにそんな不思議なおかしみを感じます。そしてまさにこの「感じ」の正体が「悟り」で、あくまで「ああ・・・」って程度にしか感じられず、悟りって人に伝えるのならわかるようなわからないようなところが面白い。ただ最終的に何かがわかるというのは、とても個人的なことであって、それは修行によってしか悟ることができない、という考えはお勉強にも通じるなと思います。

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