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2011年11月05日

英文法学習について(前編)

 こんにちは。大西先生です。今回は‘英文法学習’について書いていきます。

‘ボキャブラリーと文法’は言語の両翼

 英語学習において‘文法要・不要論’いずれもあるようですが、大学入試の英文(センター試験を含む)が読めるようになるためには‘英文法学習は絶対に必要’です。そのことに疑問を持たないことです。仮に大英辞典に載っている全ての英単語を暗記していても英文法を知らなければ正確に英文を読むことは出来ないでしょう。逆に分厚い英文法辞典の全てのルールを暗記していても語彙力がなければやはり英文は読めないでしょう。そういうものです。くり返します。外国語である英語の文(章)を正しく読み書きするためには絶対に英文法は学習しなければなりません。‘ボキャブラリーと文法’は言語の両翼でありどちらの翼が欠けても言葉(特に外国語として学ぶ言葉)は羽ばたきません。みなさんは‘羽ばたく英語’を学ぶのです。当然‘英文法’は学習するのです。

②‘英文法’の定義

 非常に幅広い意味を含む言葉なので‘ここでいうところの定義’を共有しましょう。

 英語一言語の観点でいえば‘英語の語順・語群・情報単位のまま英文の内容(意味)を理解する言語手段’であり‘英語で書いてあるまま・聴こえてくるまま意味を認識する思考回路’です。
 
 母国語を含めた観点では‘英語を母国語に翻訳(通訳)する際になぜその訳(意味)になるのかを論理的・科学的に解明する言語手段’であり‘英語で発話・筆話する際に母国語を英語の語順・語群・情報単位に変換する思考回路’です。

 ひとつひとつの文法単元はその言語手段や思考回路を形成するネットワークといえます。


‘英文法’は‘理解・納得・暗記するもの’

 子供達には少し言葉が難しかったでしょうか。話を続けます。認識すべき重要なことは‘英文法という言語手段や思考回路’は‘初めから在るものではない’ということです。‘単語や連語’と同様に‘覚えるもの・体得するもの’だということです。ただ単語(や連語)と違うのは暗記の前の‘(意味や構造など)なぜそうなるのか’という理解が大切です(全ての文法項目にこの‘理解’が必要ではありませんが)。英文法の各単元の内容を‘理解し納得した上で暗記する’ことです。また単語・連語の必達レベルの‘何とか思い出せる(ボキャブラリー編参照)という受動的な記憶’では不十分です。‘英単語・連語’は‘思い出せる(受動)’レベルまで覚えこむ。‘英文法’は‘覚えている(能動)’レベルまで覚えこむ。そのためには各単元の‘深い理解と納得’が必要不可欠です。その上で演習を積み重ね実践を通じて更なる理解と納得を得ることで初めて知識として定着し‘能動的暗記’となるのです。

‘そういうもの’として(丸)暗記すべき英文法事項もある

 ほぼ全ての英文法事項は‘なぜそうなるのか’説明がつきます(‘その説明’を可能にするものが‘英文法’です)。ただし英文法には‘なぜ’を(一旦)脇において純粋に暗記するべき項目もたくさんあるのも事実です。‘連語化しているものや慣用表現’が代表例です。そういう分野は‘そういうもの’と割り切って覚えたほうが結果として実利的です。覚えた後で‘なぜ’が分かることもあります。大学入試は限りある時間との戦いです。‘削れる時間・削るべき時間の見切り’は合格への必須条件です。確かに理想は‘なぜ’を理解しての暗記ですが、‘なぜ’を越えた丸暗記も言語学習には絶対に必要です。‘単語学習と同じ文法学習’もあるのです。具体的にどの単元のどの事項が‘丸暗記’分野かは授業内でその都度子供達に話していきます。

英文法学習における‘音読’の重要性

 英語学習における‘音読の重要性’はしきりに叫ばれていますし疑問の余地もありません。(恐らく)‘音読否定派という英語講師’もいなければ‘音読不要論を唱える英語関連書物’もないでしょう。にもかかわらず‘英文法学習’と‘音読’が切り離されてしまっている傾向があります。あくまでも‘英文法=頭で理解する(ためだけの)もの’的な発想が根強くある気がします。‘英文法のための英文法’になってしまっているとでもいいますか。改めて声を大にして伝えますが‘(英)文法’とは‘体得すべき言語手段であり思考回路’なのです。ある文法項目を頭で理解・納得したら体にも覚え込ませるのです。‘頭の理論’を‘体で経験’することで‘身につける’のです。その項目に関する例文を‘書いてあるまま・声に出して読むまま英語で意味(内容)を認識できる’まで音読することです。理想は‘理解するべき‘なぜ’を理解・納得した上で例文のまま完全暗記’です。‘英文法基本例文が理解を伴った状態で音読できない’ならば‘複雑な英文や長文が理解を伴い音読できるべくもない’のです。あたかも‘水は高きから低きへ流れるが如し’です。逆はありません。‘英文法事項が身についたかどうか’は‘例文を音読すると同時に意味が認識できるか・自然に感じるか・体が受け入れるか’がひとつの大きな指標となります。

 (英)文法は語(句)の配列を司り‘言葉をして文たらしめるもの’であり‘音声をして意味あるメッセージたらしめるもの’です。‘頭で理解・納得したら音で体に覚えこませる’ことです。‘頭(理論)と体(経験)’を越えて‘心(感覚)’で意味が分かるとき‘その言語が身についた’と言えるのかもしれません。

 比較するに母国語という言語がどれほど深く濃く‘頭・体・心’の全てに住みついているか察して余りあります。あらゆる‘なぜ’をはるか立ち越えて‘読めてしまう・聴こえてしまう・分かってしまう・話せてしまう’のだから。きっと血液の一滴に至るまで流れ込んでいるのでしょう。細胞の隅々にまで浸透しているのでしょう。人は母の胎内にいたときから‘母なる言葉’に触れ続けているのでしょう。‘母語・母国語’とは言ったものです。‘外国語である英語’がそうそうたやすく‘身につく’はずもありませんよね。‘小さいことを積み重ねること’をともに積み重ね続けましょう。


 前編はこれで終了とします。次回は‘英文法の中枢を成す品詞’の話を中心に書こうと思います。またよろしくお付き合い下さい。どうもありがとうございました。 
 
 
 



 

 

 

 
 

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