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2011年10月18日

京都自転車旅行レポート(その2)

本日は小6の生徒・保護者のみなさま!保護者会へのご参加大変ありがとうございました!
少しはためになる、刺激になる話ができたでしょうか??アンケートのご提出、早めにお願いします。

さてさて、まだ体力があるので「京都自転車旅行パート2」を書いてから帰路に着きたいと思います。
前回は「方広寺」の鐘やら「耳塚」のお話やらを書いて終わっていますね。その続きです。

「方広寺」より北に進路をとり「建仁寺」に立ち寄りながらグングン北へ北へ!「大和大路通り」⇒「縄手通り」と上がり『三条大橋』まで来ました。この橋は鴨川にかかる大きな橋で、歌川広重の「東海道五十三次」にも描かれた東海道の西の起点であります。また、この橋には様々な歴史があり古くは「池田屋事件」(新撰組が尊皇攘夷派の長州・土佐の武士を襲撃した幕末の大騒動)、近代では「駅伝発祥の地」として知られています。また、近隣の河川敷には処刑場があり(あった)、石田三成や石川五右衛門、近藤勇などの著名人が処刑される際この橋を渡ったという言い伝えもあります。
三条大橋
その橋を渡りあの「本能寺」へ。「本能寺」といえば「本能寺の変」!天下統一を目指す織田信長が京都に来る際の宿舎としていた本能寺・・・1582年6月21日に家臣である明智光秀らに包囲され最期は自害へと追い込まれる歴史上最重要事件の1つと称されるあの事件であります。その本能寺は「新京極」(修学旅行で必ず行くのでは??お土産やさんが軒を連ねるあの界隈)の北側に位置していて内部は一見の価値あり!まぁぁ金の装飾でピッカピカです。・・・が、実は本能寺は現在の場所にあったわけではないのです。元々は現在の位置より南西、「二条城」の南側に位置していました。写真の石碑はその址です。本能寺の変のあと1587年に豊臣秀吉の命により現在の位置に移転されたのであります。しかし、何と言うか歴史の大事件の舞台に立つと何とも言えない感情が込みあげてきますなぁぁぁ。みなさんも旅行をする際には「歴史」を少々でもよいので学んでから行くと、全く知らずに行くより絶対に楽しめますよ!!
本能寺new本能寺址
さてさて・・・「腹が空いては戦はできぬ」とばかりに目指すは京の台所「錦市場」です。この市場の歴史はかなり古く発祥は西暦800年ごろだそうです。ということは都(平安京)ができると同時に市場OPENといったところでしょうか。江戸時代には本格的な魚市場の様相も呈し、明治維新以降店舗数の激減も経験しながら大正時代に入り復興、1967年には大手スーパー進出を市場の組合員らが土地を買収し進出を阻止しながら現在の「京の台所」としての地位を守り通してきている大変すばらしい市場なのです。四条通りを1本北へ上がった錦小路通りがそれで東西390メートルに130店舗が軒を連ね、魚介類、京野菜、漬物、練り物、干物、茶、金物などなど・・・まぁ飽きません!!今回の旅では3往復しました(笑)。
錦市場1錦市場2錦市場3
今回この市場で食したものは・・・焼き牡蠣、大ハマグリ焼き、鯖すし、鱧(はも)のフライ、鱧のてんぷらです。まぁどれも美味しかったですが、特に気に入ったのは「鱧のてんぷら」です。絶品!!1串¥300で食べさせてくれるお店がありますから是非行ってみて下さい。高級魚「鱧」を味わうのにはお手頃だと思いますよ。
ではでは集中力も切れて参りましたので、今宵はこれにてお開きとさせていただきます!パート3をお楽しみに!(勤)





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