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田子浦校 Archive

合理

車の点検時期がやってきたので、それでお店に行くことになり予約を入れました。「かしこまりました。午前中11時ですね」と言われ、そのとき考えたことが、実際に客として来店する時間はどれくらいが先方にとってちょうどいいのか、ということです。あまり早く着いても先方には順番がありますしご迷惑かな、などなど。悩ましいものです。

現在、文理は新年度に向けた学習面談シーズンです。立場は変わり、保護者様方のいらっしゃるお時間が、いつもベストタイミングです。鑑みて、これは一面で気遣いの表れでもあったなと思いました。ありがたいことです。いつもお忙しい中お時間を作っていただき感謝感激です。

さて、中1生はアルファベットを学びました。英語ではもちろん、社会の中でもアルファベットの起源を学んでいます。数千年も昔、古代オリエントではエジプト文明やメソポタミア文明の各地で象形文字とくさび形文字が生まれていました。

時は流れ、やがて両者の間で交易がはじまると、エジプトとメソポタミアの中継地点には、優れた商人たちを有するフェニキア人が誕生します。フェニキア人は言語の違う仲介者として商売するため、象形文字とくさび型文字からフェニキア文字を生み出します。これがアルファベットの原型となりました。

アルファベットの良さはひとえに柔軟性です。象形文字やくさび型文字は絵文字に近く、日本語で例えたら漢字です。「魚」という文字は魚以外の意味を持ちません。具体的だけど汎用性に欠けます。言語として硬質です。かえりみてアルファベットはひらがなに当たります。「さ」「か」「な」という文字は組み替えれば新たな言葉が創造できます。一文字では意味を為さない記号が、わずか26種の音の組み合わせで、無限の可能性を持ち得ることに成功しました。

フェニキア人は象形文字とくさび型文字からアルファベットを創造します。アルファベットは音と表記が一致した素直な言語です。様々な考えを表現しやすい柔軟性から、英語は現在世界中で使用人口17%以上にも上ります。五教科の吸収もアルファベットのような柔軟性が鍵かもしれませんね。

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中1・中2 個人成績表返却…ご確認をお願い致します。

こんにちは。
田子浦校では、今週「中1・中2到達度テストの個人成績表」を返却しました。
まだ、成績表を渡していない生徒は、早く渡しましょう!!!
今回のブログでは、「成績表を見るときに大切なこと」について書いていきます。

①偏差値
 →どうしても素点(得点)を見がちですが、平均点(偏差値50)に届いているかを見ます。

②順位
 →科目ごとの順位や、教室内順位、塾内順位を確認して、自分の位置を確認しましょう。

③領域ごとの平均点
 →テストの中で、特に「どの分野」に力を入れて勉強すべきかが分かります。

毎回のテストで、「できた、できなかった」よりも、
次のテストに向けて、「できなかった問題に対してどう取り組んでいくか」が大切だと思います。
中2英語・数学では、解説授業のあと再テストを実施しました。

今回の塾内テストで、特にすごかったのは……

①中2 Tさん 3教科 満点!!!

②中1 満点 数学4名 英語6名!!!

➂中2 満点 国語1名 数学5名 英語8名!!!

次回のテストも引き続き、頑張りましょう☆★☆


田子浦校 菊池

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始動

授業内での演習中に、前列に座っている生徒がすっと手を挙げたので、質問に答えるため彼の座る机に近寄るとノートの中身が見えました。一か月ほど前のノートには、印象画のようなおよそ規律とは無縁のわがままな字で、そのときは大きさやノートの罫線にそろえ書くようにたしなめました。ところが見たそのノートには大きさのそろった丁寧な字が見られたため、言わずとも努力の跡が発見でき胸アツでした。日々みな見てない所でも進歩しているんですね。

ささいなことの中にもいつか将来のための、たとえば楽天さは困難さえ楽しむための気構えとして、強情さはふんばりの効く不屈不倒の精神として、今は小さな萌芽に過ぎませんが、来るべき備えのようなものが誰に教わることもなく一挙一投の中に現れます。熱いぞ少年少女!

さて、英語や数学の検定申し込みを多数受け付けました。のんびりした4月5月を上手に使えばライバルに差をつけるチャンスです。検定申し込み者は合格に向けて勉強を始動しましょう。受けることと受かることの間には深い溝・・・高い山?とにかく知らないことは勉強あるのみです。検定取得に向けてどうすればいいのか分からない子、先生たちにたくさんアドバイスをもらいましょう。目標が異なれば多少筋も異なります。それにいつでも質問できるのは、文理へ通っている特典ですからね。合格までの優れた公式を使わない手はありません。

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開眼

中1の歴史でゴータマシッダールタなる人物が登場します。仏教の開祖シャカのことです。

シャカはインドの王子様で高貴な生まれの人物でした、というと生徒はびっくりします。広く知られる袈裟一枚のイメージが強いようです。シャカは生まれつき人格的に円満で、優れた知恵を用い、何でも解決できた、なんてことはありませんでした。むしろたいへん悩み多き人だからこそ、自ら同様に苦しむ悩み多き人々へ共感し、救いを与える教えを説くことができました。

仏教用語に「悟り」という言葉があります。悟りを開いたシャカは、そもそも尽きぬ悩みから悟りを開くことになった人です。悟りというと高尚に聞こえますが、例えば難しい数学の問題があったとします。初見ではちんぷんかんぷんで全く分からず、2~3日考えあぐねた結果、ある朝急に答えが出るようになった、多くの人にそんな経験があることと思います。悟りとは、このときの「ひらめき」とか「わかる」といった具合のものです。論理的とは言い難くとても個人的な出来事です。感覚的なことなので技術の伝達は困難です。さらに問題が違えば新しい数式が要求されるように、万能の考えではありませんでした。個人的なことなので、教えることができず、だから仏教では悟りを開くために黙々と修行に励むんですね。

シャカの悟りとは、その時はそう思うことで満たされた、という思想だったので、シャカの言葉をすべて実践しようとなると矛盾が生まれて破たんします。さらにひとつ悟りを開いても、人生は山あり谷ありですから、すぐさま新たな悩みが生まれます。永遠のイタチごっこです。このことはシャカ自身が一番心得ていたことだったので、死後に自分の教えをまとめて宗教のようにしないことを強く訴えますが、偉大な師のお隠れを惜しんだ弟子たちの手によってシャカの言行は現在に至ります。

よく子どもたちに「言うな」っていうと言うし、「言おう」っていうと言わない、みたいなことがあって、それを逆手にとって遊ぶことも多々ありますが、このことは教室内に限らずご家庭の中でも見られると思います。時代は移れど人々の営みに普遍性が見られ、一連のストーリイにそんな不思議なおかしみを感じます。そしてまさにこの「感じ」の正体が「悟り」で、あくまで「ああ・・・」って程度にしか感じられず、悟りって人に伝えるのならわかるようなわからないようなところが面白い。ただ最終的に何かがわかるというのは、とても個人的なことであって、それは修行によってしか悟ることができない、という考えはお勉強にも通じるなと思います。

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入門

レタッチ

イスとか机とか形あるものは見ればわかるので教えるのは簡単です。でも概念とか観念とか考えに相当するものは形がないので、わかりやすく説明するのに例えを利用します。中3くらいになると、例えは本論の付録に過ぎないことがわかっているので最後まで静かに結論を待ちます。要点をスナイパーのように狙い撃ちしているわけですね。ところが中1はまだ目先のことで精いっぱいなので、本気で照れたり、本気で笑ったり、本気で突っ込んだり、ただのたとえ話に手に汗握ります。中1生は毎日が大冒険です。

昨晩の授業は世界恐慌でしたが、そのときヒトラーに触れる機会があり、すかさず生徒が「嫌われる勇気の人だ」と言うので「それはアドラーだね」となりました。本人は少し照れていましたが、アドラーは20世紀を代表する高名な哲学者の一人で、最近でも書籍やテレビで受け取り上げられています。よく知っているなと感心しました。

本屋さんに行くと哲学書のコーナーがあります。哲学とは言葉で真理を探究する学問です。我々の祖先は世界や人間について知ろうとし、言葉を発達させました。ところが言葉を持つだけでは、モノに名づけたりモノの名あてに過ぎなく、それ以上の世界と人間の関わりについては理解が進みません。結局、よくわからない世界の不思議はすべて神さまによるものとされていました。

やがて各地で都市が発達すると互いの神話同士も交わります。創作に基づいた思想の出会いは明らかな矛盾が発生します。そこで人々は神話に依らず正しくものを考えようと試みます。哲学の始まりです。哲学の中心は考えることですから、人類史に与えた功績は多大です。古代ギリシャの哲学者プラトンは、優れた国家には正しく考える知恵が必要だとして、哲学者による哲人政治を唱えます。プラトンは、哲人政治を行うための政治家を育てるためアカデメイアを設立します。大学の始まりです。

哲学ほど入門書の多いジャンルはありません。入門書が多い理由はまず売れるということ、多くの人が興味を持っているということ、そして難しいということです。きちんと理解するためには原文を読むことが誤解が少なくいいのですが、オリジナルは大変難しくたじたじです。また哲学者の語りは、表面的には同じテーマでも、求めるのは真理の探究であるため、世界や人間、宇宙や自然、政治や経済、国家と個人、あらゆる筋を通した上での発言ですから、導かれた答えが一般論とはかけ離れている場合が多々あります。

先ほどのアドラーの「嫌われる勇気」も嫌われることを奨励しているのではなく、やるべきことをやるためにそれぞれの使命を全うするときの心構えのようなものです。やるべきことというのは、ここでも一般的なものではなく、それはカントの定言命法を経由した超越論的なもので言うなれば神の視点においても矛盾のないものを指しますしすし、カント自身はデカルトの方法序説を、デカルトはアリストテレスの目的論的自然観を、アリストテレスはプラトンを、プラトンはソクラテスを、ソクラテスはプロタゴラスを・・・という様に、哲学は常に時代のカウンターとした側面をもって生まれくるため、正しく学ぶと歴史の授業にもなってしまいます。大抵はそこまで求められているわけではないため、そこで気軽な読書を求めるなら入門書、ということになります。ただし世界や人間に関する天才たちの叡智の深淵をのぞくわけですから、哲学は入門書であっても相当な解読が求められます。ちなみに、正しい読み書きの学びにしぼって、もう少しカジュアル化した学問が国語です。

近年哲学という学問は一応の決着をみせています。僕らは目や耳といった不完全な器官に規定されて世界を観察します。そもそも見えないもの聞こえないものが多すぎるのに、さらに同種のものであっても人によって感じ方は異なります。またせっかくの言葉も取り方が異なります。哲学史の最も初期に相対主義という考え方があります。世界の捉え方は人それぞれという身もふたもない発想です。3000年かけて一周したわけです。その後、哲学が説明不能に陥ったものごとにおいては、20世紀以降科学や数学がタスキを受け継ぎました。相対主義は、世界の表象が観測者に委ねられると量子力学が証明しています。

勉強も入門書が多いジャンルです。勉強の入門書が多い理由は、ひとつには普遍度が高く必要とされ売れること、興味を持つ人が多いこと、そして未解決であることだと思います。勉強の仕方は相対主義です。10点の子と90点の子では学び方は違います。言葉に強い子と数字に強い子も抱える得手不得手が違います。せっかちな子とのんびりした子も違いますね。勉強の入門書に決定版を聞かないのは読む人次第であるということが考えられます。読書は素晴らしい行為ですが、どうにも答え合わせがないことが悔やまれます。読むとわかるは必ずしも一致しません。また独学は望ましくないクセがつくこともあります。正しい学びについてはやっぱり先生がいたほうがいいですね。

入門書に求める点は効率の良さですが、こと教育に関しては間を飛ばして最初から求められることではないです。何が無駄で何が効果的であるかは、一定の学習量の末に、頭を鍛えてようやく見えてくるものです。・・・などと思っていると不意打ちです。時間が経って一周回ると、シンプルで基礎的な勉強の力強さに気づくこともあります。始めること、続けることで、目的に沿って勉強の仕方が少しずつ上手くなった生徒たちが文理に多数です。

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